承認欲求おばけが出たぞ
承認欲求がつよいです。
いや、今更何だって話なんですけど。
まるで凪のようなひとだ…と思われていると困るので、いや、すごくつよいんですよと主張したくなりました。
じぶんのなかの承認欲求については、
『まあまあ、仕方ないよね。がんばってるんだもんね。そりゃあほめてほしいよねえ』と思えるのですが、
よそのひとの承認欲求は、なんだかいたたまれないというか、
見てはいけないものを見てしまったような、ごめんなさいみたいな何とも言えない気持ちになります。
それはたぶんどこかで無意識に、
じぶんの承認欲求を『恥ずかしいな』とか思っちゃっている部分があるからなんだと思います。
承認欲求は、あってもいい。
自我も、出していい。
問題は、それらが賞賛を求めてさまよう亡霊のように(あるいは貪欲な妖怪のように)なってしまうこと。
承認欲求を満たしたくてすることは、大抵裏目に出る。
わたしのネップリなんてその筆頭だ。
けっきょくそんなに感想がもらえたりするわけでもなく、ほめられも発生せず、
たいした数字の結果も出せずに自己満足でおわる。
わたしのなかで自己満足と承認欲求がたたかって、くよくよいらいらバチバチした結果、
『いいじゃんもう、好きにすれば…』
という、投げやりな結論に達した。
そう、好きにすればいい。創作とは、そんなものなのだから。
じぶんのなかに承認欲求おばけが出たら、そっと言ってあげるといい。
『思いっきり、暴れてよし』
創作において、それは大きなちからの源であるのだと思います。