自分に対するスパルタをやめる

自分に厳しくしない。を、この秋の目標に据えて動いています。まだあんまり、うまくいかないんですけど。

ひとにはやさしくできるのに、自分にやさしくできないのはどうしてだろう。

あれをやるな、これをやれ、四六時中自分に責め立てられて、なんだか疲れてしまいました。自業自得?そうなのかな。

責め立てる自分の一部にはそれなりの、何か理由があるのかもしれない。

 

考えるな、感じろ。直感は正しいほうを知っている。とはいうけれど、わたしはどうも思考過多のようで、いつだって何か考えている。

瞑想をしているから余計に気づいてしまう。あ、また考えた。あ、またネガティブになってる。それを淡々と受け流せるときもあれば、ぜんぜんできない日も。

ヨガをしておさまることもあれば、当然おさまらないこともある。ヨガをビシバシ自己成長につかっているひとが信じられない。こころもからだもスパルタにやるってことでしょ?わたしには無理だなあ。

 

わたしは基本、がんばりたくないんです。あたまやこころに責められるだけでも、じゅうぶん凹む。

こころを、こころで、落ち着かせるのは難しい。だからヨガをする。延々と自己啓発本を読んだって、解決にならない。

ゆっくり動いて、ゆっくり感じる、そういう時間を大切にしたいのに、忙しいあたまが、こころが、わたしを急かす。

からだはもう、がんばりたくないと言っている。

 

なので、だいすきなヨガの先生の、ゆるマーケティング講座と、ヨガ講座を受けることにしました。自分にすこしでも、やさしい時間を与えたいと思いました。

いつかまた、ヨガサロンを再開したいと、夢の続きを見たいと思いました。

 

自分にやさしくするのにお金をかけるのか?あたまのなかの自分が怒りました。怒り心頭です。

自分につかうお金なんてないだろ。自分なんかに手間をかけるな。

そうかあ、うんうん、自分なんか、ときみは思っているんだね。自分に価値がないから、かけるお金や手間暇をもったいないと思うんだね。そうかあ。納得。

 

無価値観は、誰しも薄っすら持っているものだとわたしは思います。問題は、自分に厳しくすること。こころとからだを疲弊させてしまうこと。

 

スパルタ、もういいよ、やめてもいいよ。と自分にやさしく声をかけて、進んでいきたいです。

SHARE

  • *
  • *
  • *